2008/04/22

数学のおもしろさ



高校講座数学をみていて勉強になったので。

何番目の奇数であるか

プログラムを組むときでも奇数を表すときは2n-1と表現しますが、この意味を正確には知りませんでした。これはn番目の奇数という意味なんです。いわれてみれば当たり前なんですがこれが実際に意味があることなんです。

例題で、1,3,5,7,....49まで順に足した合計はいくつになるかというものがありました。
ここでもうひとつ頭が必要なんですが、1も1+3もひとつずつタイルのようなものと思えば下の図のようになります。



つまり1は1番目の奇数で両辺が1の正方形の面積と同じで、1+3は3が2番目の奇数なので両辺が2の正方形の面積と同じという考え方です。

ここで役立つのが49が何番目の奇数かということです。

     2n-1=49
     2n=49+1
     n=25

ということから49は25番目の奇数ということになります。
今までの考え方から例題の答えを導くと、

     1+3+5+7,....+49=25*25=625

ということになります。

2008/04/07

〇 新渡戸稲造 〇



いつものごとくなかなか読み進まないのですが、現在「修養」と「自警録」を平行して読んでいます。

読めば読むほど内容の普遍性に驚き、今だからこそ心に刻む言葉にあふれていると思います。
この2冊には「人と共にこの世を渡る」心得と方法が説かれています。

よい時代も苦しい時代も多少は経験してきて、ここで人間として一皮むけたい、と考える30代後半には特に読んでもらいたい本です。若いうちにこれを読んで知識だけで知った風になるのはよくないと思うのでやはり経験に即して理解できるようになってから読む方がよいのではないかと思います。

「自警録」でおもしろい文章があります。

   『恐らくこの世における幸福なるものは粟、米のごときもので、やわらかく握ったほうが余計に攫み得るものではあるまいか。権利とか名誉とか利益とかいうものであれば、他に握りようもあるか知らぬが、僕は人生の妙味とか真の幸福とかを重く思うから、むしろやわらかく握って、すなわち自分は引っ込む態度でなるべく人に譲るをもって人生の真味を味わい得るものと思う。』

   『僕の信ずるところでは、世の中のことは判然たる意志をもつ必要のないことが多い。換言すればどちらでもよいことが多い。(省略)かく思うと無頓着というは語弊もあるが、自分から関係せず、関係深い人に譲りて差支えないことが数多ある。ここがすなわち僕の、「世を譲って渡れ」という所以である。』

しかし最後の譲られぬところにいたっては『出来るだけは譲り譲りして、どうしても譲られぬところに行けば飽くまでもこれを固守すべきである。』と言っています。

これには自分が決して譲れないことがはっきりと理解できていないといけません。大抵のことはどうでもいいことだというのは本当にそうだと思います。

他にも「強き人」とはどういう人のことであるかや、「誹謗に対する態度」や、「人生の決勝点」や、「広く世を渡る心がけ」など興味深い内容がふんだんに平易な言葉で説かれています。

「人と共に世を渡る」ことに疲れを感じている人は一度新渡戸稲造の本を手にとって考えてみてもよろしいかと思います。